御嶽信仰から生み出された「御岳百草丸」は、古来より民間薬として使われてきています。
今でも胃腸薬として全国の薬局やドラッグストアで見かけます。
コアなファンを持つこの薬にも興味深いエピソードがあります。
家庭薬研究会編著の「家庭薬ロングセラーの秘密(薬事日報社)」を参考に、紹介したいと思います。
御岳信仰との関わり!?
「御岳百草丸」の起源は、長野県と岐阜県の県境にある御嶽山で起こった「御嶽信仰」と深く関係しています。
御嶽山は平安時代より修験者の霊場でしたが、当時はまだ女性や一般人は立ち入ることが許されない閉鎖的な場所でした。
一般人も立ち入るようになったのは江戸時代以降です。
覚明と普寛の二人の行者が登山道の開削を行ったことが一般人も立ち入れるようになったきっかけですが、開削を手伝った村人に製法を伝授し、その製法に基づいて創製されたのが霊薬「百草」の起源と考えられています。
両行者が村人に、「御嶽山の霊薬百種を取り集めてよく煎じつめて薬を製すれば霊験神の如し、これを製して諸人を救え」と言ったことから「百草」になったようです。
長きに渡る製造の継承!
現在の長野県の王滝村から始まった「百草」ですが、明治に入り、製造に国の許可が必要になると、王滝村だけでなく他の村々にも広がっていき、結果として、製造業者が瞬く間に増えていきました。
はじめは製法を親から子へと伝承されていくという形式が主流でしたが、昭和に入り、こうした製造業者が集い、木曽福島に木曽製薬工業組合を設立しました。
国家総動員法に基づき医薬品が規制対象になったことで、組織名が長野県売薬製造統制株式会社に改められました。
その後も長野県製薬統制株式会社、さらに長野県製薬株式会社へと社名が変わり、現在に至っています。
あんなところにも登場する!?
「百草」の主成分はキハダの内皮のオウバクで、オウバクを細かく切り刻んで、それを煮詰めた際に出るオウバクエキスです。
「百草」は島崎藤村の童話「ふるさと」に登場するほど、昔から広く民間薬として普及しています。
3代目社長が、子供でも飲みやすい剤形へと変化させた結果、初代「百草丸(オウバクエキス、ゲンノショウコ、ビャクジュツ)」が誕生しました。
その後、成分変更を行い、現在の「御岳百草丸」になりました。
「嶽」の字が新字体の「岳」になっているところにも歴史を感じます。
余談ですが、タレントのショコタンこと中川翔子さんも愛用していて、よくブログにも登場します。
老若男女問わず今でも愛されている薬の一つですので是非今回の話を覚えておいてください。