比較的安全性が高いベンゾジアゼピン系睡眠導入剤として有名なハルシオン。我が国では30%以上のシェアを誇ります。かつてアメリカのブッシュ大統領が来日した際に、風邪が悪化し晩餐会中に倒れ、ハルシオンを飲んで休んだという話も残っています。
 「幻想」は英語で「ハルシネーション(hallucination)」と言いますが、これを鎮めるところから名前が来ていると思っている方が多いようです。実はもっと深い由来が隠されています。このお話をご紹介します。

ギリシャ神話:カワセミになった夫婦の話

<主な登場人物>

  • ハルキュオネー…風の神アイオロスの娘。このお話の主人公。
  • ケーユクス…暁の明星の神ヘオーポロスの息子で、ハルキュオネーの夫。
  • ゼウス…全知全能の神。
  • ヘーラー…ゼウスの妻であり、最高位の女神。
  • イーリス…虹の神で、ヘーラーの忠実な部下。
  • ヒュプノス…眠りの神。
  • モルペウス…眠りの神ヒュプノスの子どもで、夢の神。

 風の神アイオロスの娘、ハルキュオネーは、ケーユクス(暁の明星の神へオースポロスの息子)と結婚して、幸せに暮らしていました。その幸せの日々の中で、ついつい調子に乗ってしまい、2人はお互いのことを、全知全能の神「ゼウス」と、その妻「ヘーラー」の名前で呼び合っていました。

 これを知ったゼウスは怒り、2人に罰を与えました。その結果、2人に次々と様々な異変が起こっていきました。
 恐れをなしたケーユクスは決心します。

ケーユクス:
「アポローンの神託のあるクロラスへ行き、神々のお告げを伺おう」。

 これは結構な危険な旅だったので、妻のハルキュオネーは必死に止めました。

 しかし、ケーユクスは強引に船旅を決行。間もなく激しい嵐に襲われて、帰らぬ人となってしまいます。

 一方、夫が旅に出てから、妻のハルキュオネーは夫の無事を祈って、毎日毎日絶やさず、ゼウスの妻ヘーラーに祈りと供え物を捧げていました。

 これに困ったヘーラーは、部下である虹の女神イーリスを呼び、命令しました。

ヘーラー:
「イーリスよ。眠りの神ヒュプノスのもとへ行きなさい。ケーユクスの姿をした“幻想”をハルキュオネーに送って、幻想の夫から直接、自分がもう死んでいることを告げさせるのです」。

 イーリスからこのことを聞いたヒュプノスは、自分の子供である夢の神モルペウスを呼んで、これを実行させたといいます。
 モルペウスはケーユクスの姿で、ハルキュオネーの夢に現れ、こう告げました。

ケーユクス:
「愛するハルキュオネーよ。私は既に死んでいて、私の亡がらはエーゲ海に漂っている。海岸に立って、私のために涙をささげておくれ」

 目が覚めて海岸に向かったハルキュオネーは、その悲しみのあまり、何度も自分も海へ身を投げようとします。これを見たヘーラーはさすがに哀れに思いました。
 そこでヘーラーは、2人をカワセミの姿に変えて、いつまでも離れず、大空を羽ばたけるようにしてやりました。

カワセミがハルシオンの由来だった!!

 カワセミは英語でhalcyon birdといいますが、このハルキュオネーの逸話からそう呼ばれるようになりました。カワセミは毎年冬至の時期に海上に巣を作り、風波を鎮めて、卵を返します。古来よりカワセミが海を鎮めると信じられており、冬至の前後14日間をhalcyon daysと呼ぶようにもなりました。
 カワセミが波風を鎮めるということについては、ハルキュオネーの父親は風の神でしたから、娘の不憫さを思い、せめて孫たちだけでも風から守ろうとしてくれているのだとも考えられるようになりました。

 その結果、まるで風を鎮めるように心を鎮め、静かな眠りに導いてくれる睡眠導入剤のトリアゾラムにHalcion、つまりハルシオンという名前が付けられたのです。

 ただ単に“幻想(hallucination)”に由来するといった単純な話ではなく、背景には壮大なドラマが隠れていたのですね。最近では成分名を名前に出す後発医薬品がたくさん出てきているので、ハルシオンという名前を目にする機会が今後減ってくるかもしれないのが少し寂しいですね。