未曾有の危機に見回れた東日本大震災からあっという間に4年という月日がたとうとしています。
次第に人々の記憶も薄れ、また、震災直後にはたくさん被災地へ入っていた医療人達もだいぶ減っています。
また、放射線の影響などへの関心もがいぶ薄れてきました。
しかしながら、ここにきて、被災地ではある問題がでてきました。
筆者は現在、この問題への対策を行う環境省のプロジェクトに関わっています。
今の被災地で何ができるのかをさぐるべく、今回は被災地支援活動ルポその1をお届けします。
放射線の影響よりももっと問題なことが!?
今回復興が進んでいない理由としては、やはり、震災後に起こった福島原発事故が大きいと思います。
福島には住人が少しずつ帰還してきております。
そんな中で心配されているのは、放射線による健康被害ですが、実は別の健康問題が出てきています。
それは、見えない放射線におびえながら生活したり、そこで働かなくてはならないというストレス、また、慣れない仮設住宅やプレハブの学校校舎で過ごすことからくるストレスによって、精神的にそして肉体的にも病んでしまう方々が増えていることです。
しかしながら、汚染の影響で病院や薬局が閉鎖されている地区だと近くに医療施設がまったくない状態で、そのことが不安となり、ストレスをさらに増加させているのです。
そこで環境省により、「原子力災害復興支援等事業」プロジェクトが立ち上がりました。
放射線の知識がある医療人でかつ研究もできて、緩和ケアに積極的な人材として筆者はこのプロジェクトのメンバーに選ばれ、福島での被災者の緩和ケアに関わる機会をもつことができました。
緩和ケアメンバーとして初めて福島へ!!
2014年11月14日、環境省プロジェクトメンバーとして初めて福島県飯館村へと入りました。
JR福島駅を降りたときにはかなり栄えていて、順調に復興が進んでいると感じましたが、そこから車で約1時間、飯館村に近づくにつれてだんだんと人がいない景色になってきました。
店も建物はそのままですが、ほぼ全店の従業員と商品はなく抜け殻と化しています。
この日に訪れた某製作所の工場へと到着する頃には、周り一面に除染土をいれた巨大な黒い袋が詰まれた景色が広がっていました。
本当にここは日本なのかという気持ちにもなってしまいました。
この製作所は多くの大企業の部品を作っているところで、震災後数日して営業を再開したそうです。
それ故に、なおさら見えない放射線の中で仕事をしなければいけないストレスを感じている方が多いです。
まず放射線についての勉強会を開催し、その後、健康相談と薬の相談会も開催しました。
ストレスのせいか、震災後、一回風邪をひくとなかなか治らないという方も多く、また、近くに食堂や店がないので、栄養不足の状態で仕事をしている方々もいました。
そして睡眠薬がないと眠れなくなったなどの声もいくつかありました。
今回は初めての訪問ということで、被災者の皆さんが何を求めているか、また何を医療人として出来るかと探しにきた感じでしたので、色々な課題は次につながるものと感じました。
一番印象に残ったのは、「近くには病院も薬局もない、放射線の知識もない、そんな中、先生のような放射線の研究者でかつ医療系の知識もある方が来てくださって、時間をかけてしっかりとお話を聞いてくださるだけで心が軽くなります」。
次に来る時には課題を少しずつ解決できるように準備して来ようと強く思ったのでした。